セミリタイアして物価が安い東南アジアへ移住するのが当然の選択

座右の銘:What's most important is happy or not happy.

体験していない記憶があった!どうゆうことなんだ?

4月のホーチミンシティ

4月のホーチミンシティ

 ふと思ったのですが、よくよく考えてみると「体験していない」はずの記憶があることに気付きました。

 

これは大変な発見かもしれません。

 

いま「マインドフルネス」という本を読んでいて、ポジティブシンキングについて思うところがありました。

 

私はずっとポジティブですが、それは生まれた時からポジティブだったわけではありません。

 

いつからなのか?

 

実は自分が変わった「出来事」については、ハッキリと覚えているんです。それは若かりし頃、居酒屋での会話からでした。

 

20代前半の出来事だろうと記憶しています。とにかく若く、会社に入って3年くらいじゃないかと思う。

 

同僚と会社の飲み会があった。場所は居酒屋で座敷の長テーブルに総勢8人くらい。4人づつ向かい合って座っている。

 

私は部屋の入り口に近い角に座っており、左手に白人男性が座っている。髪の毛は金髪で細身の20代半ばくらい。残りは日本人。

 

 この居酒屋で外国人が言った一言が、私をポジティブな思考へ一変させた。

 

いつも通り、みんなで会社の愚痴を言って飲み会が始まった。私は頭の回転も早いし、よく喋るので、その愚痴を主導していた。

 

すると外国人の同僚が「Youはそれを誰かに言ったのか?」と質問してきた。私は「言ってない」と返す。

 

外国人の同僚は「言ってないなら、それはあなたの責任だ」と言った。

 

それを聞いた私は即「なるほど」と納得して、一切の愚痴を言わなくなった。代わりに提案という形で、上司にも社長にもガンガン意見するようになった。

 

派遣で働いていた時などは、朝礼で社長にガンガン提案してたら「君は誰?」と呆れられるくらい。

 

なんで派遣の新人が社長に上から目線なんだい?と思ったのだろう。

 

それでも同僚たちからは「よく言ってくれた」と賞賛された。私としては「クビになってもOK」と思っていたので、正しいことを言いまくった。

 

思えば、あの居酒屋での一言がポジティブシンキングへ転換した瞬間だったと記憶しているし、過去10年以上それがポジティブに変わったきっかけだと言い続けてきた。

 

ところがです。

 

私が会社で同僚に外国人が居たのは1回のみで、それはこの居酒屋から何年も後の話。会社員を辞めたのが30歳の時で、その最後の仕事で外国人が一人いた。

 

彼はニュージーランド人で湾岸のタワマンに住み、毎日仕事中にお菓子を食べていて凄く太っていた。

 

言いたいのは、若かりし頃の居酒屋での記憶は「存在してないはずの出来事」だという事です。

 

思い起こせば、若い時は同僚に外国人は居なかったし、どの会社に居た時なのか?飲んでいたメンバー、アドバイスをくれた白人の顔も名前も思い出せません。

 

ただただ、普通の居酒屋と長い木製のテーブル、そして飲み会の光景や会話の内容だけが記憶に残っているのです。

 

これは一体何でしょう?