2050年の世界はどうなっているか?
新年、明けましておめでとうございます!日本では令和に代わり、西暦も2020年代が始まるという事で実にexcitingである。
西暦2,100年以降の世界を想像するとワクワクするが、生きてないのでは意味がない。
そこで2020年〜2050年の日本と世界がどうなっているか?これだけを考えるようにしている。2050年でも十分にワクワクできる。
昨年は「AIに仕事を奪われる」なんて皆んなが言い出したが、そんな事は備えて忘れてしまえば良い。
大災害でも何でも「備えて忘れる」これが上手い生き方だ。 常に割り切って生きよう。
まずは人口から。2050年の世界人口は97億人。日本の人口は8,000万人。つまり出稼ぎ労働者が増えるわけだ。
多くの分野で自動化が進み、ロボットが活躍しているだろう。
平成の後半に我々のライフスタイルを激変させたのは、何と言ってもスマートフォンだ。今や途上国や田舎でも普及している。
今後はテレビ文化が激変を迎える。将来の予測をする際、基本になるのは「便利なサービスは残り、不便なサービスは消えていく」という事だ。
平成は何でも売っている百貨店(デパート)が苦戦した。ネット通販に顧客を奪われもしたが、そもそも「何でもあります」というビジネスモデルがウケてない。
そして情報のデパートこそがテレビである。
これは全部YouTubeを筆頭に、インターネット上のサービスに取って変わられる。何と今ならその「未来のテレビ」に個人がタダ同然で動画をアップできるのだ。
私も今月からYouTuberデビューする。平均寿命を考えると、死ぬまで続けられそうだ。
次は「お金」について。
さすがに2050年に現金を使っているとは考えにくい。現在でも使う機会はほとんど無いことから、完全に無くなっているだろう。
無くなると言われている「銀行」は残りそうだ。現金が無いのだから店舗や窓口は不要だが、融資と金融仲介の機能だけ残っていく。
もちろん融資の審査をする銀行員はいらない。審査は自動的に行われているはずだ。コンビニの店員も居なくなるが、長い目で見ればコンビニ自体も不要になる。
無人コンビニ・アマゾンGOが最初のモデルケースだ。
人々は自己投資や自己啓発、その他「体験」にお金を使う。西洋医学が失墜して、自然治癒・デトックス・断食などが主流になる。
日本では都会から田舎への回帰が始まる。田舎といっても地方のスマートシティ・コンパクトシティが人気となる。
何も無いところでサバイバル生活をする人は少数だろう。
何れにしても環境は保全して、あらゆる事をサイバー空間で済ますようになる。出勤もサイバー空間へ出勤するようになる。
インターネットの回線速度が早くなると、本当の意味でのバーチャルオフィスが誕生する。想像してみて欲しい。
仕事も飲み会もキャバクラもサイバー空間だ。
通勤をしなくなる代わりに「運動しようね」っていう雰囲気になる。初めての山へハイキングに行く時、既にサイバー空間で体験しているので道に迷う事もない。
「本物の馬と触れ合えます」なんてサービスが人気だ。
ゲームがどんどんリアルになり、現実と区別がつかなくなる。これが色んな意味で社会問題となる。
区別が出来ないなら、ゲームの中も一つの現実なのだ。
私が一番楽しみなのはこれで、端的に言えば「現実が増えていく」という事である。現実とは何か?そういった定義を議論する日も近いだろう。
2050年の世界まとめ。
・AIに取って替わられるとか、仕事が無くなるとか、そんな事はどうでもいい。いつの時代でも「心配するため」に生きるべきではない。
この世界を「楽しむため」に生きよう。既にこの現実がゲームではないとは言い切れないのだから。
テレビ時代が終わり、YouTubeなど動画時代となる。全ての人がYouTuber・動画クリエーターであるべきと考える。胡散臭くても結構。
食べない人が増え、しかも食べない人が健康そうに見える時代が来る。この点では常識が覆されるだろう。治療法も変わっていく。
「家族」という枠組みが変わる。災害は「地域の仲間で助け合おう」と教えてくれる。
ある母親の子供が地域の子供になる。他人の子供の面倒を地域の大人がみてくれるようになる。家族は少し大きな集団(現在の村みたいな)になっていく。
こういった予測の中に沢山のビジネスチャンスが見える。好きなジャンルを選んで社会に貢献すれば良い。