セミリタイアして物価が安い東南アジアへ移住するのが当然の選択

座右の銘:What's most important is happy or not happy.

宇宙・創造主的な観点から見える景色とは?

個室になっている牛角ホーチミン店

個室になっている牛角ホーチミン店

長年の研究により成功者と凡人では、物事・出来事の見え方、解釈、対処法すべてが違うという事がわかってきた。

 

物事・出来事に対する行動がすべて同じにも関わらず、成功者と凡人に別れていくはずもない。

 

人生において違う結果をもたらしている以上、あらゆるものが違っていて当たり前なのだ。

 

私は既に「怒る」という行動を選択することは無くなっている。1年に1度も怒らない。もちろん喧嘩や口論も皆無の世界に生きている。

 

ムカっとしたり、イラっとすることはある。ただし、そういった感情が湧いてくる様を一種のイベントと捉えている。

 

これは宇宙・創造主的な観点から見れば単なるイベントに過ぎない。

 

ですから、ムカっとしたり、イラっとした時には「自分は何でイラっとしているんだろう」「この感情は何を教えてくれているのだろう」と考えるようにしている。

 

条件反射的に手を出してしまう・・・みたいなのは猿レベルでしかない。

 

ちゃんと意味があるので良く考えてみるべきだし、宇宙・創造主からのメッセージという表現が正しいだろう。

 

ここからは具体例で解説しよう。

 

大衆食堂(牛丼屋など)へ行くと音を立てて食べる品のない人に出会う。私は昔からこの不快さに耐えられない。

 

かなり離れた席からのクチャクチャ食べる音でも食事を中断して会計するほどだ。

 

かといって、他人にそれを改めろと言うつもりもない。

 

ラーメンや蕎麦をすする時の大きな音も耐え難い。

 

海外では途上国でさえ音を立てて麺をすするのは下品とされており、ほとんど見かけない。欧米人にとっては論外だろう。

 

ただし、ベトナム人は麺はすすらないが、クチャクチャ音を立てて食べる人は多い。中国人もクチャクチャ音を立てて食べる姿を良く見かける。

 

もちろんすぐに会計して退店する。

 

こういった出来事が自分に対するどんなメッセージなのか?宇宙・創造主的な観点から考察してみる。

 

そのメッセージは簡単に読み解ける。以下の通りだ。

 

「いつまでもそんな所で食べてるんじゃないよ」

 

というメッセージだ。これは自分の意識を投影している世界の出来事であり、登場人物が音を立てて食べるのか?品があるのか無いのか?といった事は全く無関係であり意味がない。

 

これをわかっているごく少数の人にとって、相手を咎めたり、教育したり、言うことを聞かせる意味が全くないという事がおわかりだろうか?

 

全部あなたの・私の中の世界(内側)で起きている出来事なのだ。

 

大衆店は徐々に卒業しようと思う。既にギュウギュウ詰めのカウンターで食べるような店は卒業しているが、隣の席の音が聞こえるような店もやめていこう。

 

さっさと結婚して家で食べるか、個室のある店を選択したい。

 

日本では安価が売りの牛角も、ベトナム・ホーチミンシティでは牛角レストランといった高級店のスタンスで最初からやっている。

 

駐在員も多く、高級な飲食店もあるホーチミン3区にあり、最近は日本人街にもオープンしている。

 

ホーチミンの牛角は個室みたいに仕切りがあり、他のテーブルの音や会話はほぼ聞こえない。

 

先日行った宮廷料理のきのこ鍋レストランは、仕切りはないが広々しており、やはり他のテーブルの音や会話は聞こえない。

 

そういう店を選ぶか、もしくは食べないという選択もある。

 

大衆店を卒業せよ、さっさと結婚せよ、宇宙・創造主的な観点から推察すれば、概ねこのようなメッセージであると解釈できる。

 

Point.

すべては私の、あなたの世界(内側)で起きている現象。自分が不快な行動を取る相手を責めたり、改善を促す事に意味はない。

 

もっと高い視点から観察しよう。

 

それが私たちが生きている世界の本当の姿に対する正しい順応なのだから。いつかあなたにも理解できる日が来るだろう。