そもそも固定観念は後天的か?理想的な観念とは何か?
今日は難しい話。でも大切な話をしよう。
2つの固定観念について。
私たち日本人は「貯金」を知っている。これは後天的な知識だ。生まれた時には知らなかった。
ベトナムやフィリピンで学のない家庭に育つと「貯金」を知らない。
実際のエピソードを話そう。
昔ベトナム人(当時18歳)の女の子が「iPhone買って欲しい」と言ってきた。お決まりの"あるある"である。
もちろん買わなかったが、次のように返してみた。
「毎月5万円あげよう」
「2万円で生活して3万円を銀行に預ける」
「3ヶ月したらiPhoneを買う」
どうだ?
彼女はまったく話が理解できていない。返事は・・・
「銀行は信用できない」
銀行の信用の話はしていない。貯金という概念がまったくわからないのだ。事実、彼女らは貯金をしない。
例えるなら給料を5万円もらう→無計画に使う→次の給料日まで所持金なしで凌ぐ。このような生活を繰り返していた。
これじゃあ貧乏を抜け出せないよなあ・・・と、初めは心配もした。
一方、日本人ならどんな家庭に育っても「貯金」くらいは知っている。それが大切だと教わる。そして計算ばかりする人間に育ってしまう。
今を楽しむ能力を失ってしまう。その事に一生気付けない。
2つの観念から「良い点・悪い点」をまとめよう。
日本人の特徴・・・いくら貯金をしても、年金制度に対する不安、将来への怖れを抱いて怯えて暮らしている。
「老後資金はいくらあったら足りるだろう」「働けなくなったらどうしよう」そんな不安に囲まれた生活をしている。
ベトナム人・フィリピン人の特徴・・・貧しいことには絶望しているが、過度に先行きに対する不安を抱いておらず明るい。笑って生活している。
不安・怖れという尺度で見れば、日本人は「将来」という時間軸に対して怖れる傾向が強く、ベトナム人・フィリピン人は「現在」という時間軸を怖れる傾向がある。
計算をするか?計算をしないか?このような言い方もできる。
話をまとめよう。
何に気付き、何が言いたいのかというと「貯金をしている+今を楽しめる」こうして両者のいいとこ取りをする事が最高に幸せなんだという話。
日本人もベトナム人・フィリピン人も片方しか持っていない。
日本人は貯金をする→先行きの不安があって根暗である。貯金はあるが、楽しめない。
ベトナム人・フィリピン人は宵越しの金は持たない→今を楽しんでいる。楽しいが、経済破綻している。
ならば、貯金をしつつ将来の不安は捨てる。今を楽しんでお金も貯める。これが最強の心のあり方であり、私が実践している事である。
貯金をしつつ将来の不安は捨てる。
貯金をしつつ将来の不安は捨てる。
貯金をしつつ将来の不安は捨てる。
何度でも言おう。
貯金をしつつ将来の不安は捨てる。
出来るだけ貯金をしたら、老後にいくら足りないのか?なんて気にしてどうする。貯金
しているのに不安という状態(ステート)から脱出しよう。
自分が何歳まで生きるのか?いくら必要なのか?そんなの誰にもわからないのだから。
過度な心配は無益である。